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201706.29

あるべき論の罠【ビジョン中本のナンバー2論】

ビジョン中本のナンバー2論 
第4回: あるべき論の罠

人・組織・経営などさまざまなことについて、中本新一の「ナンバー2」目線で語る
前回までの記事はこちら

中本 新一
18歳のときに始めた通信サービスのアポインターから通信業界20余年。トップマネージャーとして全国の営業拠点において短期間で実績を出し続けた後、設立直後のビジョンへ参画。高品質・高生産営業体制、CRM、ニッチマーケットにフォーカスなど独自戦略を牽引し、現在の業界トップクラス情報通信ベンチャーに育てあげてきたビジョンのナンバー2。

いい事ばかり書いてもどうかと思いますので、今回は私の失敗話をさせていただきます。

弊社は、1995年6月に創業しまして初年度の売上げが7700万円、利益はたしか20万円くらいだったと記憶してます。

ところが二年目は、なんと売上げ10億円、利益は2億円出ました。

今は冷静に「ただたんに運が良かっただけ」と思えますが、当時の私はこれが実力と勘違いしておりました。

前職でそれくらいの予算は追ってましたのでなおさらですね。

おそらくベンチャー企業ではよくある事だと思いますが、創業メンバーはオペレーションは出来ても経営は未経験、なので弱点を補う為に世の中や経済の事を分かったふりだとか、日経新聞で読みかじった事をさも自分が考えたように従業員に話す、私はそんな馬鹿ナンバー2でした。

理由はあるのです。

従業員はみんな20代前半、営業やオペレーションは出来ても思想は無邪気な若者。

でも、静岡の片田舎で創業二年目に売上げ10億円とかやっちゃうと、偉い方々とお会いできるようになるのです。

私は彼らをなんとか見てくれよく知恵をつけようと精一杯背伸びしてマネジメント。

いや、マネジメントじゃないですね。

「俺はこんなに賢いのだから俺のようになれ」という救い様のないナンバー2でした。

当時は、国際電話や市外電話の割引サービス契約取次ぎを生業にしていたのですが、これが曲者。

取引条件が下手したら三ヶ月くらいで増えたり減ったりするのです。

そのたびにてんやわんや。

たしか1999年くらいだと思いますが、私一大決心をしました。

外部環境に依存するのはもうたくさんだ。自社サービスを立ち上げようと。

それ自体は悪くない考えなんですけど。

当時の弊社の強みはテレマーケティング力。

私はこれを取次ぎ業ではなくアウトソーサーとして業務委託に変えていこうと考えました。

たくさんたくさん営業して、通信キャリアや保険会社からお仕事を貰いました。

でも、全部赤字でした。

それでも、赤字でもいいのだ、取次ぎ業から脱却するのだ!

当時、従業員と顔を合わせるたびに「うちの会社はなにやってる会社?」と問い、「アウトソーシングの会社です!」と言わせてました。

最低ですね。取次ぎ業で頑張っている従業員が大半なのに。

そして私は赤字を回復するべく沖縄に巨大センターを立ち上げました。

当時は人件費を含むコストがとても安くすむかと思われたのです。

計画の進行中に、社長から「もう少し規模を小さくしてもいいのでは?」と忠告を受けましたが、私は頑として譲りませんでした。

結果、総ブース数300席のセンターはわずか50席程度しか稼動せず、巨額な赤字を計上して見事に砕け散りました。

なぜか?

全ては、私が「こうあるべき」「少しでも立派な会社に見えて欲しい」「こんな素晴らしいコールセンターがあればほっといても仕事はくるはず」という見栄と勘違いから出たツケです。

撤退戦は、腑抜けになっている私の代わりに、全てうちの社長がやってくれました。

家賃の高いセンターは転貸しするよう動いていただき、従業員の転職まで面倒みてもらいました。

時は流れて2017年、私の仕事は随分と変わり、なんと管理本部長でしょっちゅう機関投資家様回りをしております。

絶対に見栄や分かったふりはしない。

正直にコミュニケーションをとる。

これをお読みのベンチャー企業経営者のみなさま、あえて恥を晒しました。

私の経験が少しでも貴社にお役立ちになればと存じます。

見栄を張ってはいけません。

志が高いのと見栄は全く違いますが、私の場合はついついごっちゃになる事が多かったです。

その時の会社と自分の実力で、正直に一生懸命頑張れば良いだけだったのに。

十数年経った今でも、たまに夢に出て来る痛恨の極みです。


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